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マーケティング・対比思考 第15回 “ドラッカー”と“世阿弥”

2011/11/24

タグ:ドラッカー 世阿弥 梅津 順江

株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
GI部 ディレクター インタビュアー 梅津 順江(ウメヅ ユキエ)

11月19日は、「現代経営学」あるいは「マネジメント」の発明者、ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)の誕生日。生誕101年にあたる日に、日本でも【ドラッカー学会共催シンポジウム】が催された。

当学会で、明治大学法学部教授 土屋恵一郎氏は、『イノベーションは、ドラッカーのマネジメントの重要な要素。同じく、伝統芸術の祖である世阿弥にとっても、イノベーションは重要でした。現代と伝統を結ぶイノベーションの精神を取り出して、次世代へのスタンスを考える機会にしたい。(中略)・・能楽の思想は、日本におけるドラッカー研究に新しい色彩をあたえることになるだろう。』と、述べていた。

「ドラッカーのイノベーション論」と「世阿弥の風姿花伝※1※2」との共通点を解説されており、興味深い内容であった。以下は、講演内容の要約。


イノベーションの芸術論を、能楽の世界では「新しきが花」と語っている。
新しさはイノベーションの核心にあたる種子である。歴史も文明も連続的なものではなく、新しさを種子として飛躍的に変化し、偶然性さえも契機にして流動していくものである。この新しさと偶然性の場所が「マーケット」である。
マネジメントは流動する歴史と文明を予測し制御する野心に支えられている。ドラッカーのマネジメント論の意義もそこにある。経営者の管理術でも組織論でもない豊かさがある。


「能」を「ビジネス」「方法論」、「観客」「場」を「マーケット」、「偶然性」を「タイミング」「チャンス」、「人気」を「評価」「受容性」として読めば、世阿弥の言葉は、競争社会を生きる我々への提言とも読める。

ドラッカーの提唱するイノベーション。この抽象的でつかみどころのない言葉に、自分は難しさを感じていた。

Yahoo!辞書には、【innovation】:(技術)革新、刷新、革命、新機軸、一新とあるが、どれもピンと来ない。しかし、世阿弥の「新しきが花」「珍しきは花」という言葉は、すとんと腑に落ちた。世阿弥は「風婆花伝」の中で、人を感動させる3つの要素として、「新しきこと」「珍しきこと」「面白きこと」を挙げているのである。

ドラッカーよりも、はるか昔の室町時代から続いている「日本の能の世界」に深みを感じるとともに、「常に斬新さや変化に挑戦しているから、能には終わりがなく700年も続いているのだ」と有言実行している点に納得できる。

ドラッカーは、
『21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく』
『イノベーションとは、昨日の世界と縁を切り、明日を創造することである。馴染みの過去を捨てて、リスクをとり、未知の世界へ飛び込むことなしに、21世紀において繁栄することはありえない。』
という金言を残した。

これと同じことを能楽では、『住する所なきを、まず花と知るべし※3』と表現している。


今年に入ってから、「イノベーション」「次世代」という言葉はリサーチ業界や調査の現場でも、頻繁に使われるようになった。
MROC(Marketing Research Online Communityの略)、ショッパーリサーチ、バイオメトリックス(生体反応)調査、ゲーム型リサーチ(Gamification)など、リサーチ業界は、新しい取り組みに花盛りである。

しかし、その意味するところや実現手段を正しく理解しないと、成功は望めないと考える。ドラッカーの教えを忠実に守ると、『強みを生かして、不得手を捨てる』『これまでの発想を体系的に廃棄する』ということになるだろうか。

また、世阿弥の造語の1つに「時節感当(じせつかんとう)※4」という言葉がある。これはタイミングをつかむことの重要性を語ったもので、どんなに正しいことを言っても、タイミングを外せば人には受け入れられないことを伝えている。


内面化の時代に入り、若者やオタクといわれていた者が、表現の場を発見し、すでに市民権を得ている。
このような環境変化が著しい中、リサーチ業界も過渡期にあり、多くの可能性が広がっている。新規事業開発の現場にいる自分自身も、日進月歩の真っ只中で目まぐるしい。

ドラッカーや世阿弥に習うことは多い。常に「創造的(Innovative)なアイデア・提案」を創出することを心がけ、一方では、「タイミングを逸して失敗した」ということがないよう、「時代の空気」「顧客(クライアント)・生活者の心の動き」をつかんで、今後の挑戦や展開に携わっていけたら、と願っている。



※1世阿弥:室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成し、多くの書を残す。
※2風姿花伝:世阿弥の著書で、能の修行や演出に関する方法論をまとめたもの。観客に感動を与える力を「花」として表現している。
※3住するところなきを、まず花と知るべし:留まり続ける・安住することなく、変化することこそが芸術の中心である、という意味。
※4時節感当:「時節」とは、能役者が楽屋から舞台に向かい、幕があがり橋掛かりに出る瞬間のこと。幕がぱっと上がり、役者が見え、観客が役者の声を待ち受けている、その心の高まりをうまく見計らって、絶妙のタイミングで声を出すこと。世阿弥は、正しいだけではだめで、その正しさを人々に受け入れてもらうタイミングをつかむことが必要と説いている。