株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
企画部 小林祐児(コバヤシ ユウジ)
前回紹介した犯罪被害の「暗数」の問題をクリアにするべく、ヨーロッパでは80年代末から国際犯罪被害調査―ICVS(International Crime Victimes Survey)という国際調査が立ち上がっている。これまで世界で78カ国が実施しており、日本政府も「犯罪被害実数(暗数)調査」という名称で、平成12年から参加・実施している。概要は以下の表にまとめてみた。
この調査の特徴は、(1)法律上の犯罪定義とは異なる独自の定義で測定しているため、データ間の国際比較が可能になっている点である。また、(2)警察統計とは異なり、警察方針などに左右されることが無く、一定の安定感と信頼感を担保している。以下のその結果を抜粋しよう(ちなみに、第三回調査の回答率は62.0%)
どうやら、客観的な事実として、日本の犯罪は減ってきている。すでに死語となった感のある「安全神話」は、どうやら存命し続けているようだ。
しかし、その中で人びとの不安は安らぐことなく、「防犯対策」市場は拡大を続けているように見える。
減る犯罪、増える犯罪不安。この逆説的な事態の理由はなんだろうか。このメカニズムを解き明かすために、2つ目のキーワード、「〈安全〉と〈安心〉の区別」に進もう。
当たり前のことだが、人びとが防犯対策を行うには、金銭的コスト・時間的コスト・心理的コストなど様々なコストがかかる。そのコストに対するベネフィットは、一般的に「サービスを受ける人の安全確保」と思われがちだ。
だがここでは、防犯対策の真のベネフィットを、「安全の確保」ではなく、「サービスを受ける人が安心を得る」という心理的な効能として見てみよう。ここで、〈安全〉と〈安心〉を次のように明確に区別することが肝要になる。
まずはこの「安全/安心」の区別をしっかりと携えつつ、さらに次に進んでいく。
街中で睨みを効かせる監視カメラ。
防犯パトロールカーは「空き巣狙いが増えています」と叫び、
立て看板には「痴漢発生!注意」の文字が踊る。
しかし、〈安全〉ではなく、〈安心〉の面に重点を置いて考えると、こうした施策の上のような心理的効果は見逃せないポイントになってくる。「犯罪不安」があくまで心理的な事象であることを考えれば、「防犯対策がかえって人びとの〈安心〉を阻害する」というこの構図は、このエントリにとって核心的な重要さを帯びてくる。次のようにまとめよう。
〈安全〉とは、危険が無い、という客観的な事実ベースの概念であった。しかし、主観的予想(推測)である〈安心〉は、0.1%でも「危険がある」とその人が感じた瞬間に失われてしまう。いくら危険の可能性が低いことがわかっていても、想定される被害が大きければ大きいほど、不安感は頭をもたげてくる。
このように、社会というものは往々にして「客観的な事実」とは相関せず、まるで無関係に動いていくことがある。「客観的な事実」を確定させるのは常に難しいものだが、それと「社会的な事実」が位相を異なるものにしているということは、これまで多くの社会学者が指摘してきた。
アメリカの社会学者R.K.マートンが提唱したもので、社会心理学の分野にも応用され、次のような例が知られている。
ある銀行について、根拠のない支払不能の噂が広まることで、預金者が一斉に預金を引き出してしまい、最後には実際に銀行が倒産してしまう。認識上の錯誤とそれに基づく行為が、錯誤を実際に現実化してしまう(※2)。
最後に、面白いデータを引用しよう(浜井・芹沢2006)。
(※1)このような、ある事象が意図とは真逆の負の効果をもたらすことを社会学では「逆機能dysfunction」と呼ぶ。一般的な例としては、先進国が経済的自立のために施す後進国支援政策が、実際には、後進国の先進国への依存を促進してしまうことなどが挙げられる。
(※2)犯罪についても、「痴漢注意」の貼り紙に欲望を喚起されてしまう痴漢のように、犯罪予防が犯罪を実際に引き起こす、というパターンもある。まさに予言の自己成就なのだが、ここではそれについては触れないことにする。
【参照文献】
浜井浩一・芹沢一也,2006,『犯罪不安社会―誰もが「不審者」?』 光文社新書.