株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
企画部 小林祐児(コバヤシ ユウジ)
書店で情報技術、IT系の本棚の前に来た時の筆者の嘆息である。
インターネットの普及による情報環境の激変。めまぐるしく変わるインターネットの世界においては、技術や流行の変遷にともない、その潮流についての時事的な書籍(少し前ではmixi本、最近ではtwitter、Facebook本が山となっている)が書店で平積みされていく。
本書215Pにおいて彼は、デジタル時代の新聞について、自分の興味関心のあるところだけを集約してくれる特別に編集された電子新聞、いわば「日刊・わたし」の想像をふくらませている。
デイリー・ミーのような「事前に選択済」の情報摂取が中心になってくると、人々は徐々に多くある情報の中から、自分に関心のある情報しかふれないことになる。そして、この「関心」とは、未来でも過去でもなく、「現在」のわたしがもっている関心だ。そこではつまり、「現状では関心は無いが、未来では関心をもつ可能性のある情報」にふれる機会が少なくなる。デイリー・ミーは、現状維持的な情報摂取の傾向を強化してしまう側面ももっている。
2.広まるべき情報が広まらなくなる
3.情報選択の幅が狭まり、市民としての自由が損なわれる
花田達郎 「公共圏という名の社会空間―公共圏、メディア、市民社会」
レッシグは、人々の行為を制約するものとして、「市場」 「法」 「規範」 「アーキテクチャ」を指摘する。この最後の「アーキテクチャ」を名指したのがレッシグの白眉である。architectureというのは「建築」「構造」を意味する単語だが、この本が著されてからは、インターネットに代表されるネットワークにおいて、コード(プログラム)によって与えられる環境そのもののことを「アーキテクチャ」と呼ぶことも一般化した。
いま、人々の公道での速度違反を防ぎたい、と考えたとする。法によって違反速度は定められているし、人々の間には「速度をだしすぎてはいけない」という規範もある。また、罰金は、市場の原理からしてみれば単純にコストとして計上される。
日本の高速道路でもときおりわざと凹凸の加工をされている道が存在するが、この加工によって、その上を走る車は一定速度以上を出して走行することが物理的に不可能になる。このように、環境そのものをコントロールすることによって人々の行為を制限するのが「アーキテクチャ」による制約の性格である。
「何を買った」「何を食べた」「どこに行った」「誰に会った」「物や風景の写真」。ブログ、Amazon、twitterやFacebook、foursquareや食べログ、Instagram…。種々様々なウェブサービスで、わたしたちは、毎日のように自分が生きたデータを記録し続けている。
鈴木が語るそうした私のあり方は、以前には確かに無かったものだ。スマートフォンと位置情報を取得するアプリの普及で、今後ますますこの流れは進んでいくことを考えると、本著は発刊後6年ほどたった今こそ読まれる時期にあるのかもしれない。
●北田暁大 『嗤う日本の「ナショナリズム」』
その2ちゃんねるを中心に、直情的な愛国的言葉を書き連ね、スキャンダラスに耳目を集めたのが「ネット右翼」の存在であった。彼らの極端で過激な書き込みゆえに、時事的な興味は集中することになったが、そのコミュニケーション内容を、戦後日本の人々のコミュニケーション様態の変容と連続的に分析した北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』は稀有な著である。
■補足として
わずか5作を紹介しただけで、紹介すべきリストよりも先に紙幅の方がつきてしまった。
駆け足にはなるが、もう2冊だけあげることで、溜飲を下げることにしよう。


