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社会学のすゝめ 第38回「環境リスクと日本人」

2015/02/13

タグ:小林祐児 環境 社会学 沈黙の春

株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
企画部 アシスタント・ディレクター 小林祐児


近年の社会学で最も「活発」な分野はどこだろうか。それを知るには、JREC-INポータルで、社会学の求人一覧を見てみるのが手っ取り早い。ここ数年、求人的に「アツイ」2本柱は、1位は圧倒的に「福祉」分野、そして次あたりにくるのが「環境」分野である。

環境の話題は「社会」全体を語るときにも、「社会学」を語ろうとするときにも避けては通れない話題になってきている。だが、一般生活者にとっては、どうだろうか。今回は、特に日本の環境意識について、調査データの面から光をあててみたい。


■日本人の環境意識


世界各国の現下の最重要課題.gif
「社会実情データ図録」http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9600.html


まず、環境意識についての調査は、マーケティングやメディア関連についての調査と比べてずっと貴重である。特に、国際的な一般調査となるとISSPが実施している「環境に関する国際比較調査」に頼ることになる。

上図を見ると、「今の日本で最も重要な問題」はと問うと、日本は圧倒的に「経済」が多くあがる国であることがわかる。一方で「環境」についてはあまりあがってこず、数字は世界でも中位にあたる。逆に北欧やカナダなど、環境資源が経済資源と重なっているような国では環境のプライオリティが比較的高いことが読み取れる。

日本人の自然観長期推移.gif


では、長期的に見るとどうだろうか。
こちらは、統計数理研究所による「日本人の国民性調査」が経年で聴取している「人間が幸福になるには」という自然観を問う質問である。これを見ると日本人の自然観は68-73年に大きく変動していることがわかる。「自然を征服」するという自然観が、急激に下がり、現在まで続く低空飛行を始めることになる。逆に、今では、「自然に従う」という自然観が広く多数派を占めている様子がわかるだろう。



■「環境意識」の60年代後半~70年代

では、このころなにが起こったか。
実は、世界的に見ても、この60年代後半~70年代初頭は、環境への意識変動が起こった時期として知られている。

まずは、1962年にレイチェル・カーソンによる「沈黙の春」の出版は、世界の環境問題への思考を転換させる意味でエポックメイキングな出来事であった。アメリカの生物学者であるカーソンは、遺伝学を学び、州当局が農薬として使用しているDDTの自然界への残留性や生態系への影響を公にした。

「沈黙の春」はその後アメリカにおいて半年間で50万部も売り上げ、後のアースディや1972年の国連人間環境会議のきっかけとなり、環境問題そのものに人々の目を向けさせ、環境保護運動の始まりとなった。

そして、1972年には、スイスの環境系シンクタンク「ローマ・クラブ」による報告書「成長の限界」が発表される。こちらも、スイスの一シンクタンクが発表したものにも関わらず、各国が高度成長に湧く時代において地球環境の成長限界を提唱し、世界的に多大なインパクトを持った。

また、1968年には、G・ハーディンによる「コモンズ(共有地)の悲劇The Tragedy of the Commons」論文も著されている。これは、イギリスの共有牧草地を事例に、牛を増やすことで得られる牛飼い個人の利益が、過剰利用によって個人に与える不利益よりも大きいために、牛が増やされ続け、結局牧草地が枯渇することを説いた論文である。これは「社会的ジレンマ」の代表的案事例としても知られている。

同時に、日本では「4大公害病」と呼ばれた水俣病、第二水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくが問題化され、高度成長期の負の遺産としての「公害問題」という社会課題へ、日本人の多くの耳目を集めることになった。こうした世界での環境意識の地殻変動、そしてその後相次いで開かれた国際会議によって日本人の自然観も大きく変動することになった。


■東北大震災と環境意識


震災後意識調査_震災後の生活行動.gif

そして、近年の環境意識に影響を与えた社会的出来事といえば、東北大震災が第一にあげられるだろう。

JMAで年に1回実施している「震災後生活意識調査」をみると、「環境のためなら、多少不便になるのも仕方がない」という後ろ向きの項目は震災直後の40ポイント近い数値から、その3年後にすでに25ポイント近くまで下がっている。

また、「環境のために少しでも我慢や不便になるのは避けたい」というより積極的な意味で反環境的な項目についても、震災後に徐々に数字をあげ、去年はついに「仕方がない」とほとんど変わらない水準まで達してしまっている。
東北震災直後にはかなり高かった環境意識が、すでにかなりの程度で下がってきている様子がみられるのだ。


■ウリリッヒ・ベック「リスク社会」


また全体社会の話にもどそう。「近代」という大きな視点で見た時、社会は環境をリスクと捉え、そのリスクを抑えこむようなテクノロジーでそのリスクに対応してきた。
資本が高度に発展し、「物」の生産と分配ではなく、「リスクの生産と分配」が重大な社会的論争のテーマとなるに至った後期近代の社会を、先日鬼籍に入った社会学者ウルリッヒ・ベックは「リスク社会」と呼んだ。

自然発生的に迫る「危険danger」と異なり、「リスクrisk」は人為の結果として起こる危険を示している概念だ。

そして、リスク社会の特徴は、第1にリスクがグローバルに作用すること、そして、ある活動から産み出されたリスクは、その活動から利益を得ている主体にさえ作用する「ブーメラン効果」をもっていること第2にリスク社会におけるリスクは、しばしば通常の人間の五感や常識的知識ではとらえたり理解したりすることができず、科学的な装備や専門知識を必要とすることがあげられている。

例えば、1986年のチェルノブイリ原発事故は、可能性としては僅かなリスクが、甚大かつ決定的な被害をもたらし、かつ、それが市井の市民には接触不可能なほど専門的な活動から産み出されていた。

高度化した近代社会においてリスクは豊かな社会を実現するための営み自身がもたらすものである。
「リスク」についての「不安」は人の行動の原動力でもある。しかし、近年の調査結果をみても、「見えない」リスクについての感受性はすぐに忘れ去られてしまうようだ。そしてグローバル化した社会において、環境リスクもグローバル化し、目の前から見えなくなっていく。

不況という目の前のリスクに長期間さらされてきた日本社会の環境意識の将来を、今後もデータとともに追っていきたい。
  
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