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リサーチャーのつぶやき 第44回「店頭で感じる『春』」

2015/03/26

株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
定性調査部 シニア・ディレクター インタビュアー 吉田 聖美

つい先日までダウンコートとブーツに身を包んだ人たちが街にあふれていたというのに、近頃春めいた日が多くなってきました。早いもので、まもなく新年度が始まろうとしています。

余談ですが、3月末から4月初めの春休みの時期に実査を行う場合、学生の学年区分には注意が必要です。
例えば、高校生を対象者とした調査を行うときに既に卒業式が終わっている3年生を高校生として扱ってよいのかは注意が必要ですし、もし3年生を対象者に含めない場合は、普段の調査時と比べて単純に母数が2/3の数になってしまうという問題があります。

また主婦を対象とした調査で子どもの年齢を記入してもらう場合にも、ある人は3月までの学年で書いたり、ある人は新しい学年で書いたり、と、混乱が生じる場合もあります。確かに卒業式や修了式が終わると、次の学年に気持ちが行っていたりもしますしね。「4月からの学年でお答えください」など、注意書きがあっても良いのかもしれません。

少し話が逸れましたが、今回の原稿のメインテーマは「季節感」について。最近、色々な調査を行っている中で「季節感」という言葉を耳にする機会が多かったので取り上げてみました。

店頭を見ると、チューハイ、ソフトドリンク、お菓子、弁当など、季節の素材を扱った商品が溢れています。また、パッケージデザインで季節感を出している商品も並んでいます。ビール類の季節パッケージ(春の桜、夏の花火、秋の紅葉など)もすっかり浸透しました。

一方で、家庭内や食卓における季節感は減退している気がします。節分の恵方巻き、手作りのバレンタインデーなど、イベント的な要素が大きい行事は実施しても、それ以外の季節感を食卓や家庭で感じる機会というのはさほど多くないのではないでしょうか。

食材の旬がなくなって久しい、と言われますし、自分が子どもの頃と比べると家の中の設備・備品でも季節を感じるものが減ったな、と思います。私が子どもの頃の実家には、夏は蚊帳や簾がありましたし、冬は袢纏を羽織って炬燵に入っていました(時代だけではなく、地域差もありそうですが)。

この「伝統的な」「本来の・自然の」季節を感じる機会は減っているのに、「イベント的に」「商業的に」季節を感じる機会は増えているという傾向には面白さを感じます。こういった一見すると逆行しているように見える傾向が人間の面白さ、マーケットの面白さだと思います。

「イベント的に」「商業的に」季節を感じる機会が増えていることから読み取れるのは、「季節を感じたい」という欲求の存在です。「季節を感じたい」とまで行かなくても「季節を感じると嬉しい」という気持ち。その気持ちの実現が外注されているのが、今の店頭だと思うのです。

「季節を感じると嬉しい」という気持ち、これは「月日の移り変わりを感じたい」「日々にアクセントを付けたい」という気持ちの表れなのではないかと思います。裏には「漠然と日々が過ぎていくのは怖い」という気持ちがあるのかもしれません。

社会人になると旬のものに心を奪われたり、花見など季節のイベントを楽しみたくなるのは、学生時代にはあったようなイベントが少なくなり、区切りがわかりにくくなっているからなのでしょうね。人は「安定」と「変化」どちらの欲求もある生き物だということを改めて感じます。

でも「自分で季節感を出すのは難しい」理由は、「面倒」などという以上に「どうすれば良いのかわからない」というのが現実だと思います。「自分ではどうすれば良いかわからない場合の手助けになる」「面倒感、負担感を軽減する」は人がお金が払う理由として大きな要素です。

そして、この「どうすれば良いのかわからない」という状況は年々進んでいくでしょう。人は簡単に実現できる手段を手に入れてしまった後に、その手段を手放して原点回帰することはできない生き物ですから。

店頭にある「桜の模様が付いたパッケージ」はとてもわかりやすく春を伝えてくれます。「筍」「菜の花」などの食材から春を感じるためには一定の知識とそれを伝達してもらう機会が必要です。

子どもがいる食卓で「春っぽいね」と言ってもらおうと思ったら、菜の花のメニューを追加するよりも、桜のキッチンマットを敷いて、パッケージに桜の模様が付いている飲み物を置いて、という方が早い、というのも現実・・・でも、そこで伝達をしなければ、子どもは「本来の」季節感を知る機会がないまま育ってしまう・・・。

その葛藤が表れたのが、子どもたちが喜び、わかりやすく伝えられる催事食を家庭に取りこむという行動です。節分は恵方巻き、ひな祭りはちらし寿司とハマグリのお吸い物など。なんだか手っ取り早さとわかりやすさに傾倒してしまっている気がしますが。。。

「わかりやすさ」「本質」どちらも必要とされているのは、季節感のみならず、色々な事象に共通だと思います。催事食・イベント食はそのどちらも持っているにも関わらず、何となく自分の中で満足しきれていないのはきっと「本質」という意味で物足りていないから。「わかりやすさ」だけでは満足しきれなくなっている、など気持ちの振り戻しがあるのかもしれません。

どんな商材、カテゴリーであっても、こういった「何となく満足しきれていない」気持ちこそ、ビジネスのヒントだとは思うんですけどね。ただ、この解決策、誰かが何かを呈示してくれて、「あ!それを待っていたの!」という気持ちにならないと見つけられないのかもしれません。


2015/03/26

category:リサーチャーのつぶやき
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